HAYATO1が出来上がるまで⑦

おはようございます。

昨日は縦系から今のスタイルに変わった理由について綴りました。

最後軽く脱線しましたが笑

今日は、高校を卒業して大阪に行く過程について書いていきます。

まず高校3年生のダンス甲子園が終わった後、僕は周りが大学受験の勉強やら車の免許取得やらしてる中でも、ひたすらダンス漬けの毎日でした。

もちろん、こんな性格なんで、ダンス漬けではあるものの進路について向き合ってはいましたよ。

まず、第一に大阪には絶対行きたかった。

なぜなら、影響を多大に受けたMORTAL COMBATさんのいる大阪だから。

既に大阪にはダンスでの繋がりがあったので行きやすかった。

シンプルに関西弁が好きで、人情あふれる良い人が多いイメージで、いつか関西弁の女性とお付き合いしてみたかった。

などの理由があげられます。

では、どうやって行くか、

まず僕はUSJのオーディションを受けました。笑

第一審査は無事通過して、僕は九州枠だったので第二次審査のある福岡まで行きました。

すると、ラビットでゴリゴリかまして瞬殺で合格してやるわくらいに思ってたのもつかの間、会場はバレエやらジャズやらそっち畑あがりの方だらけの空間で、そこにドゥーラグを頭に巻いた俗に言うB系田舎少年が入り混じっているというカオスな感じになりました。

明らかな場違い感。

しかも、自身のアピールポイントのパフォーマンスに関してはフリを与えられたなかで2エイトか4エイトの限られた時間だけやるといった感じで、ラビットなんてろくにできず、メインはバレエやらコンテンポラリーの表現テスト、制限時間内にフリを覚えてそのクオリティをテスト的な感じ。

しかもグループテストなので、バレエなんてその日初挑戦の僕にとっては公開処刑もいいとこでしたが、できることはやろうということでバレエを見様見真似でやりきりました。

まあ、結果はもちろん不合格。

そらそうですよね。女性専用車両の中に一人だけB系男子が入り混じってるようなもんです。地獄ですね。

まああとは、そもそもブレイキン踊れることが強みとだけ思っていたところが完全に間違いでした。

テーマパークダンサーのオーディションなわけですから、フリ覚えの早さだったりそういうコンテンポラリーよりの表現、ジャズ、バレエの基礎が求められるなんて容易に想像できます。

まあ、いい勉強と経験になりました。笑

ということでユニバの道は閉ざされ、新たに進路について再検討するのですが、

結果、次は柔道整復師の学校に行くことを決めます。

いわゆる整骨院の先生になる為の学校です。

僕は実はダンス甲子園の時期くらいから軸の手首にガングリオンっていうしこりみたいなのができる怪我?をしていました。

手をついたら痛くなるやつです。

完全にラビットのやり過ぎだったんだと思います。

手のつきかたを改めたのでほとんど治りましたが、その経験から怪我を治せるようになりたいなと思い立つわけです。

しかも柔道整復師は国家資格。手に職。安心。的な感じで大阪の専門学校を探します。

これ決めてるのたしか高校3年生の1月とかだったかな。

かなり急ピッチで決めていった気がします。

あとあと、この安直な選択が辛い判断をすることになるなんて知る由もなく、専門学校進学という名目で大阪に行くことになりました。

明日へ続く。

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